スバルショップ三河安城の最新情報。スバルのヒストリー外伝「プリンス自動車〜消えるべくして消えた、スバルの兄弟〜」 | 2018年8月8日更新

 
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文責:スバルショップ三河安城 和泉店

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担当:余語

 

日本グランプリからの突然の撤退。〜完成間近のR383は幻に。〜

プリンス―日産、レーシングプロトタイプの開発終了。

R383 01 NF2006

幻となったR383は、1975年に初めてその存在が明らかにされた。
作者 160SX [CC BY-SA 3.0 ], ウィキメディア・コモンズより

華々しい、日本グランプリ。過激な競争によって、技術力は急激な成長を遂げていました。富士スピードウェイでやっと2分を切ったのが、1966年。そこから、たった3年で20%もの性能向上。重大な事故が何時起きてもおかしくない、危険なレースとなっていたのです。苛烈な競争は、もう限界を超えていました。

1970年6月8日、日産は日本グランプリに参戦しない旨を突如発表。これを以って、R38シリーズの正式な開発に終止符が打たれます。その理由は、レース自体の危険性と環境対策が急務となったことでした。

ただこの時点で、R383と名付けられた新型マシンは既に完成間近でした。GRX-III型を搭載し、ラジエターをマシンの両サイドに移し、空力面での充実を図っていました。幻のマシンR383は1975年に突如公開され、一躍注目を浴びることになるのです。

R38シリーズの技術者たちはこの後、ツーリングカーに舞台を移し、ハコスカでスカイライン50連勝という新たな伝説を築き上げていくことになります。

トヨタ7も、2度の死亡事故で開発中断。

1970年の日本グランプリは、主役を失ったことで中止が決定。ところが、トヨタ7の開発は続いていました。北米のプロトタイプカーレースシリーズであるCan-Amへの参戦が、役員会にて正式決定したのです。トヨタは5LV8にターボを装着した1000psオーバーの化け物を開発していました。ところが、この計画は突如闇に葬られます。

トヨタのエースドライバー河合稔が、鈴鹿でのトヨタ7のテスト中に事故死したのです。河合のトヨタ7は、ヘアピン手前の緩い右コーナーを直進、コース上には黒々とブラックマークが残っていました。河合が、何らかの異変を感じてブレーキを掛けていたのは明らかでした。

ところが、トヨタは先の福澤の死亡事故を含め、すべての情報を非公開とし、事故車両は即座に廃棄処分とされました。福澤と河合は、モデルとして大衆紙の表紙を飾るなど、広く人気を集めていました。特に、河合はその年の2月に大人気モデル小川ローザと結婚したばかりだっただけに、この事故は世間の大きな注目を集めます。ただ事故原因が車両側にあったのは明らかでしたから、トヨタの隠蔽体質がこの後厳しい批判に晒されることになります。

日本グランプリは、戦後日本の自動車技術のひとつの頂点だと言えるでしょう。華々しいレーシングプロトタイプは、大きな人気を集めていました。時代の要請を受けてその歴史は途絶えたのですが、トヨタの事故が後味を悪くしているのは間違いありません。

 

文責:スバルショップ三河安城和泉店 営業:余語

 

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