スバルショップ三河安城の最新情報。家にいよう。特別企画 クラブ・スバリズム歴史発掘!技術的偉業10選 第10弾「上越新幹線中山トンネル」| 2020年4月25日更新

 
クラブ・スバリズム 技術的偉業10選 上越新幹線中山トンネル
「家にいよう。」特別企画
 
    2020年4月25日 第10弾「上越新幹線中山トンネル」
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文責:スバルショップ三河安城 和泉店

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担当:余語

 

エンジニアなら知っておきたい。技術的偉業10選。

温故知新。古きを知り、新しきを知る。古きものには、様々な知見が内包されています。数多の失敗を重ね、多大な犠牲を払い、偉大な挑戦があって、モノは誕生します。しかし、その中には現代では全く見落とされてしまっているものも少なくありません。だからこそ、新しきを造る人々は、古きものを良く知る必要があるのです。

もちろん、高度に電子化されつつある現代技術と、20世紀の技術には大きな隔たりが存在します。自動車一つとって見ても、中身は全く似て非なるものへと進化を遂げています。

一方で、その本質は何も変わっていません。その本質を突き詰めて見ていく限りに於いては、技術に古いも新しいも無いのです。

ここに列挙したのは、小生が独断で選んだ、特筆すべき技術的偉業の数々です。もし、興味があれば、書籍をご購入の上で詳しく理解されることをお勧めします。

 

依然としてリスクが高い、山岳トンネル建設。

Nakayama tunnel north entrance of the Joetsu Shinkansen A

中山トンネル新潟方の坑口。このトンネルが、日本屈指の難工事あったことを知る乗客は殆どいないのだろう。さかおり / CC BY-SA

日本の山岳トンネル建設は、依然として最もリスクの高い土木分野の一つです。その最大の要因は、日本特有の複雑怪奇な地質構造にあります。

日本列島は数十億年に渡って、プレートテクトニクスや地震・火山活動、氷河・河川による浸食・堆積など、ありとあらゆる地殻活動に晒されてきました。その活動の結果が複雑に積み重なって、国土が形成されています。それ故、日本の山岳は、何処も彼処も断層・不良地山のオンパレード。そもそも、日本の国土自体が、トンネル建設に不向きなのです。

そんな日本で山岳トンネルを施工するのは、一寸作の見えぬ真っ暗闇を突っ走るようなもの。掘っていく先に何があるか?そこにはどんな応力が作用しているか?どれだけの地下水が存在しているか?安全な施工に際し、真っ先に知っておくべきことが、全く分からないのです。

山塊の懐なぞ、手で触れることも、目で見ることも叶いません。あらゆる調査しても、最後は経験と勘に頼るしかないのです。だからこそ、山岳トンネル建設はリスクが高いのです。

 

山が牙を剥く、膨圧と突発湧水の恐怖。

函南駅より丹那トンネル坑口をのぞむ Kammon railway tunnel Shimonoseki portal Kanden Tunnel Trolleybus

[左]東海道新幹線丹那トンネル。1934年 Akatsuki-3rd / CC BY-SA [中]山陽本線関門トンネル。1942年 Tam0031 / CC BY-SA [右]黒部ダム関電トンネル。1958年 Yasu / CC BY-SA

 
Seikan Tunnel entrance - dual-gauge track HK100 Yumezora2 and Nabetachiyama tunnel Hokuhoku-Oshima 20140908 Abo Tunnel 001

[左]津軽海峡線青函トンネル。1988年Bmazerolles / CC BY-SA  [中]北越急行ほくほく線鍋立山トンネル。1995年Cassiopeia sweet / Public domain  [右]中部縦貫自動車道安房トンネル。1995年NALA_Wiki / CC BY-SA

 
Hida Tonnel Kawai pithead

東海北陸自動車道飛騨トンネル。2007年V.E.learn / Public domain

丹那トンネル、関門トンネル、黒四ダム建設、青函トンネル、鍋立山トンネル、安房トンネル、飛騨トンネル、そして、中山トンネル。日本の山岳トンネル建設技術は、難工事の度に飛躍を遂げてきました。しかし、それでも山は牙を剥きます。補助工法の採用による予算超過。不良地山遭遇による工期延長。突発事故による人命の喪失。屈辱的な決断を伴うルート変更。予期せぬ計画変更を強いられるのが、山岳トンネル建設の怖さです。

技術者や坑夫たちに最も恐れられているのが、膨圧と突発湧水です。膨圧が強く作用すると、トンネルが押しつぶされるように断面が縮小するため、幾度もの再掘削が必須です。ただ、その作用は比較的ゆっくりとしているため、人命が失われるような事故は起きにくい現象でもあります。一方、岩盤中から高圧で地下水が吹き出す突発湧水は、トンネル坑夫たちに最も恐れられてきました。崩壊土砂を伴って土石流となる場合があるのです。これまでも、突発湧水により多くの人命が失われてきました。

中山トンネルは膨圧と異常出水、その双方に見舞われた難工事としてその名を知られています。技術者と坑夫たちは、この前代未聞の困難を乗り越えるべく、貪欲に最新技術を投入して、克服していったのです。そして、その経験と資料は、貴重な事例となって現代に多大な知見を残したのです。

 

日本土木史上、屈指の難工事中山トンネル。

2工区が水没する大出水を筆頭に幾度もの大規模出水に阻まれ、超膨張性地山による幾度もの縫い返しを迫られた中山トンネルは、日本土木史上屈指の難工事としてその名を知られています。

中山トンネルは、日本鉄道建設公団により上越新幹線高崎ー上毛高原間に建設された、総延長14,857mの複線トンネルです。このトンネルには、東京方から5kmほど進んだ場所に、新幹線では本来許可されるはずのない、速度制限160mkm/h・R=1500mの急カーブが設けられています。本来、線形の制約を回避するためにトンネルを建設するのですから、不思議なことです。

実は、このR=1500mのカーブこそ、屈指の難工事と呼ばれたその生き証人です。中山トンネルは、凡そ及びもつかぬ難関に阻まれた末に、2度に渡る大出水が発生。その結果、国鉄は2度のルート変更と上越新幹線の開通延期を承認せざるを得なかったのです。

中山トンネル建設が、これだけ難航を極めた原因は、拙速なルート選定と事前調査にありました。

 

たった10ヶ月の調査期間と拙速なルート選定。

上越新幹線中山トンネル

地図を見る限り、上越線に沿って利根川沿いを進むほうが、土被りも浅く、斜坑の設置も容易に思われる。

高崎から利根川沿いを進めば、長大トンネル建設は回避可能なはずです。にも関わらず、上越新幹線は、小野子山と子持山の間にある高原地帯直下を長大トンネルで貫いています。この高原こそ、突発湧水の根本的原因です。

この高原は、2つの成層火山の活動により形成された急峻な谷状地形を、未固結の火山噴出物が覆って形成されたものです。この一体に雨が降れば、地下水となって埋没している谷状地形に滞留します。しかし、上越新幹線の早期開通は、第1級の「政治案件」でしたから、徹底した事前調査を行う余裕がありませんでした。

基本計画決定は、1971年1月。着工は、その年の10月。与えられた準備期間はたった10ヶ月のみ。この間に、ルート選定を覆せるほどの地質調査をするなど、土台無理な話です。しかも、工期はたった5年でした。

山岳トンネル建設では拝み勾配を採用し、自然流下によって坑口から排出するのがセオリー。しかし、それでは2箇所からしか同時掘削できません。

工期短縮を優先する場合、斜坑や先進導坑を建設。複数箇所で同時掘削して施工速度を早めます。中山トンネルでは工区を6つに分割。1本の斜坑と3本の立坑を建設し、6箇所から掘削する計画でした。

本則に従えば、立坑ではなく、斜坑を建設すべきです。しかし、中山トンネルでは地形上の制約により、立坑を採用せざるを得ませんでした。もし、利根川沿いのルートであれば、斜坑の設置は容易でした。にも関わらず、現在ルートを採用したのはなぜでしょうか?

 

幻の巨大ダム計画と苛烈な駅誘致合戦を回避?

一説には、利根川沿いルートでは市街地を長く通過するため、用地買収が難航する可能性がある上、駅設置の陳情合戦に巻き込まれることを懸念した、とされています。

他説として、実は幻の巨大ダム「沼田ダム計画」が関わっているとも言われています。この沼田ダム計画は、利根川上流に高さ125mのアーチコンクリートダムを建設し、沼田市街が一部を除いて完全に水没する、総貯水容量8億㎥、湛水面積2,700haという日本最大の人造湖を形成。東京圏の水不足を一気に解決する計画でした。しかし、地元の激しい反対により、計画は1972年に放棄されています。上越新幹線の計画決定は前年であり、これに配慮せざるを得なかったのかも知れません。

結果的に、中山トンネルは浸食の進んだ2つの火山の鞍部という、厄介な地質を掘削することとなります。1973年、工事に先んじて地質調査が実施されています。この調査結果に基づいて作成されたのが地質縦断面図です。これによれば、東京方から暫くは火山泥流堆積物が存在するものの、本坑周辺には充分に固結した良好な閃緑岩の岩盤層が存在しているはずでした。ところが、この地質縦断面図、全く見当違いのものだったのです。

この地域は、火山活動の泥流が厚く体積した高原地帯であり、比較的新しい火山堆積物の下に未固結な地質構造が広く存在していたのです。しかも、最悪なことに、施工基面はかつての地表面(不整合面)に一致していました。山岳の地表は、鋭い尾根やV字谷など起伏に富んでいます。しかし、その古代の地形を地表から伺うことはできませんから、不整合面の地質の状態を詳細に把握するのは、元来不可能なのです。

 

湧水が多く、2本の立坑掘削が早くも難航。

1972年、斜坑及び立坑の掘削を開始。ところが、1974年9月27日に早くも出水事故が発生します。小野上北斜坑の地表面から457.8m地点で突如異常出水が発生し、切羽が崩壊。出水量は、最大で340t/minに達します。膨大な湧水は斜坑すべてを飲み込み、坑口から10分に渡って溢れ続けたのです。

地質調査を詳しく実施した処、明らかになったのは20万㎥に達する巨大滞水塊の存在でした。斜坑はちょうどその直下を進んでおり、水圧に抗し切れずに水が吹き出したのです。

計画を変更し、分岐ルートでの前進を試みますが、湧水量は全く減らず、途中放棄されます。斜坑の完成を待つより、隣接工区から本坑の掘削を進める方が早かったからです。この決断により、6つの工区のうち小野上北工区は契約解除となります。この決断は、1976年11月。当時は、漸く本坑掘削が開始されたばかり。しかし、本来の完成予定はもう過ぎていたのです。

四方木及び高山立坑でも、異常出水により作業は中断し、薬液注入を繰り返していました。厄介なことに、立坑の掘削経験は殆ど無かったのです。水平方向に薬液注入を実施する場合、注入孔から出水が止まれば、薬液注入が完了したと判断できます。しかし、鉛直に掘削を進める立坑の場合、注入孔から水が噴出しないため、薬液注入の効果を推し量ることはできないのです。

 

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