スバルショップ三河安城の最新情報。2022年ルマン24時間。トヨタ完勝の陰にあるものとは。| 2022年6月17日更新

 
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文責:スバルショップ三河安城 和泉店

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2022年6月12日午後4時、トヨタがルマン5連覇達成。

フランス時間2022年6月12日午後4時。ルマン24時間レースは、漸くフィナーレを迎えました。結果は、トヨタ盤石の1-2フィニッシュ。3位のグリッケンハウスに5周差を付ける圧勝となりました。

2018年以来の5連覇を記録する今回の勝利は、ルマンの記録に刻まれることとなります。トヨタの通算5勝は、アルファロメオ、フォードの4勝を上回り、ポルシェ(19勝)、アウディ(13勝)、フェラーリ(9勝)、ジャガー(7勝)、ベントレー(6勝)に次ぐ、第6位。5連覇は、ポルシェ(7連勝:1981〜1987)、フェラーリ(6連勝:1960〜1965)に次ぐもので、アウディ(5連勝:2004〜2008、2010〜2014)に並ぶもの。そして、チームとしてToyota Gazoo Racingの5連勝は、ヨースト・レーシング(13勝)、ポルシェ(12勝)、スクーデリア・フェラーリ(7勝)に次ぐもので、ジャガーと並ぶもの。日本のトヨタが、ルマンの歴史に燦然と輝く王者に君臨したことは、疑いようのない事実です。

ところが、トヨタの偉業を軽んじる意見が日本から出てくるのは、残念なことです。曰く、ライバル不在だから楽に勝てた。。。そんな意見が多いのです。ただ、上記に記した連勝記録も、その殆どがライバル不在で達成されているのを忘れてはいけません。

加えて言えば、トヨタの5連勝という記録は、すべて2台エントリーによるもの。PP5年連続獲得、完走率100%(出走:のべ10台・完走:10台)、表彰台獲得率100%(2018年:1-2、2019年:1-2、2020年:1-3、2021年:1-2、2022年:1-2)という記録は、これだけでも素晴らしいもの。これだけの偉業は、アウディでさえ達せていない境地なのです。

ハイブリッド技術を利用し、システムが非常に複雑化した現代の車両でこれを達成するのは、並大抵のことではありません。トヨタの偉業は、真に称賛されるものでしょう。

 

トヨタGT-Oneがもたらした、ルマンの技術革命。


かつてのルマンは、ゆっくり完走を目指すものでした。1970年代までは、予選に比べて決勝では10秒ほどペースが落として走るのが鉄則。ユノ・ディエールにシケインがなく、全長6kmのストレートだった時代は、ギアの摩耗を考慮してギア比を1-2-3-4-5-5(!)とするのがスタンダード。当時は、ピット作業も実にのんびりしたものでした。

ところが、激しい開発競争が様相を一変させます。1988年、TWRジャガーは5台のワークスカーで、2台のワークスポルシェ・962Cを激しいスプリント合戦に持ち込み、消耗戦を展開。生き残った1台のジャガー・XJR-9が、遂に絶対王者打倒を果たします。ドーバー海峡を渡って訪れた5万人の大観衆は感涙に咽び、ルマンに新時代の到来を告げたのでした。

それから、10年後の1998年。ポルシェ、メルセデス、トヨタ、BMW、日産がワークス参戦。史上稀に見る、激しい開発競争が展開されます。中でも熾烈を極めたのが、トヨタ・GT-Oneとメルセデス・CLK-LMの戦い。予選では、予選専用カウル(!)を投入したメルセデスがPPを獲得。ところが、決勝ではBMW、メルセデスが序盤でリタイヤ。残ったトヨタに俄然有利な展開。ところが、トヨタ・GT-Oneは信頼性の問題を抱えていました。新開発の6速ミッションがアキレス腱だったのです。

トヨタ・GT-Oneは、それまでWRCを戦っていた、TMGの手によるもの。エンジンはグループC用3.5LV8ターボを流用し、これに新開発のリカルド社製ミッションを組み合わせていました。ところが、駆動系の信頼性が不十分。そこで、彼らが考えたのがWRC方式。壊れるのなら交換してしまえば問題ない、という荒業でした。もし、1周2秒早く走れれば、400周走れば800秒。もし、ミッション交換が10分で済むのなら、交換した方が速い(!!)と考えたのです。

3台のトヨタのうち、ウサギさん作戦の2台が飛ばしに飛ばし、想定通りミッションを壊して帰ってきます。交換を終えたGT-Oneは、ポルシェに遅れを取るも、凄まじいペースで再びリードを奪取。荒業ながら、トヨタは想定通りのレースを展開します。ところが、想定外だったのは、ピットまで戻って来られないという事態。結局、2台が相次いでリタイヤし、亀さん作戦の日本人組が9位と、惨敗を喫します。

 

5分でミッション交換。アウディが手にした究極の強さ。


このTMGの考え方を継承したのが、2000年以降15年近くルマンの頂点に君臨したアウディでした。2000年に登場したR8は、GT-One同様のリカルド製ミッションを採用。彼らは、さらに交換時間を短縮。何と5〜6分で交換可能という境地に達します。その威力は、2000年のルマンで遺憾なく発揮されるのです。

タイヤバーストによってトラブルを抱えたR8は、ゆっくりとピットに戻ります。サスペンションに異常があると判断されると、アウディ・チーム・ヨーストはミッションごとのリヤセクション交換を決断。フロントからガレージに押し込まれ、速やかにリヤカウル、アンダーカウル、エキゾーストパイプを外されます。

R8は、ミッション交換を前提にデザインされており、ミッションとベルハウジングの接続点に、オイルラインやブレーキライン、ケーブルなど全てのコネクタの接続点がまとめられていました。ここを外せば、デフ・アップライト・ブレーキを含むリヤセクションが、丸ごと簡単に外せたのです

外れたリヤセクションにアンカーを掛けて持ち上げると、その下に滑り込むように新品のリヤセクションが挿入されます。このリヤセクションにはオイル・フルードが充填済みであり、何の追加整備も必要ありません。迅速な作業で、新リヤセクションをが結合されると、アンダーカウルを取り付け、リヤカウルを被せて、作業完了。ここまで、たった5分半。驚異的なスピードです。そして、数秒後。R8は何事もなく、ピットアウトしていくのです。

それまで、ミッション交換は最低30分が相場であり、勝負権を失うのは当然でした。ところが、アウディ・R8は違いました。例え駆動系にトラブルを抱えても、フロントをクラッシュさせても、ゾンビの如く何度も息を吹き返すのです。その強さは、驚きを超えて、恐怖すら感じさせるものでした。

アウディは、ルマンで新たな境地を切り拓いたのです。信頼性を考慮してペースを抑えて走るのではなく、予選から2〜3秒落ちというハイペースで走り続け、壊れたら最短時間で復帰させる。そして、それを達成する信頼性を確保する。言うは易く行うは難し。ひたむきなアウディの努力は実を結び、2010年には永遠不滅の最長走行距離記録:5410.713kmを達成します。

 

アウディを史上最強の座へ導く、優勝請負人ヨースト。

ただ、アウディの強さはアウディだけのものではありません。アウディが偉業を達成するカギは、1999年にありました。1996〜1997年、ポルシェワークスを2年連続で破ってルマン連覇を成し遂げたのは、ポルシェのガレージからWSC95を借りてきたヨースト・レーシング。ただ、1998年のプロジェクトは実を結ばず、ポルシェも1998年を以て撤退してしまいます。そのヨーストに目を付けたのが、アウディでした。

1999年のルマンで、アウディがヨーストに託したのは"駄作"のR8R。トヨタやメルセデス、BMWに比べれは、劣勢は明らかでした。ところが、ヨーストはR8Rからダウンフォースを削って最高速を稼ぐと、激戦を強かに潜り抜け、3〜4位を獲得してしまうのです。アウディの勝利の方程式は、この瞬間に完成したと言って良いでしょう。

そして、翌2000年へ向けて、彼らのノウハウが余すことなく注がれたルマン史上最強のマシン、アウディ・R8を完成させます。R8は、初のルマンを1−2−3フィニッシュで飾ると、そのまま3連覇。その後はプライベータに託され、通算5勝という空前絶後の記録を残します。

ヨーストの強さの源は、長年の経験とデータ収集に裏付けされた、完璧なオペレーションにあります。事前テスト、テストデイ、フリープラクティス、予選、決勝スタート・・・。ヨーストはルマンで日々達成すべきタスクを、完璧に把握しており、確実に結果に繋げることができたのです。

ヨーストが特に重視したのは、1回の給油で何周できるのか。もし、1周多く周回できれば、24時間後には1〜2回ピットストップを減らすことができ、タイム差は3分ほどに達します。ターゲットタイムから1秒上げた時、何周できるか。1秒下げたら、何周できるか。そのペースでは、タイヤを何スティント保たせられるか。それも、朝、昼、夜と異なる気温条件でのデータを得ておかねばなりません。徹底したデータの積み重ねにより、マシンを如何なるペースでは知らせるのが最適なのか、ヨーストは完璧に把握していたのです。

ただ、これだけではありません。アウディ時代のヨーストは、ルマンで想定されるトラブルを予め理解しており、予見されたリスクをマシンに反映することで、最短時間で修復・復帰できるよう予め設計に盛り込んでいました。その上、トラブルからのリペアについても、徹底した事前演習を行っていたのです。5分でミッション交換をこなしたのは、偶然の産物ではなく、徹底した努力と研究の成果だったのです。

 

天井知らずの開発競争。そして、残り5分の悲劇。。。

2012年、トヨタは世界初の本格的レーシングハイブリッドカー・TS030を投入。13年ぶりにルマンに復帰を果たします。トヨタはアウディ打倒を目指し、この年のルマンに初お目見え。結果は惨憺たるものでしたが、世界選手権(WEC)のシーズン後半戦で早くも優勝を飾ります。ただ、敵は史上最強の呼び声高いアウディ・スポーツ・チーム・ヨースト。新参者が勝つのは、容易ではありません。2013年、トヨタはWECでは優勝するものの、ルマンではたった1周差に泣き、2位。アウディに敗北を喫します。

2014年、ポルシェがWECに復帰。とは言っても、まだまだ新参。新型TS040を投入したトヨタは、圧倒的な強さを発揮し、初めてWECを制覇します。ところが、ルマンではトップ走行中に、突然の電気系トラブル。復帰は叶わず、優勝は夢と消えます。原因は、カプラーの破損。今まで、一度たりとも壊れたことのない場所でした。ルマンを知らぬ者には、勝利まであと僅かに見えたかも知れません。単なる不運とも考えたかも知れません。しかし、その差は想像以上に大きなものだと知るまでに、トヨタが実に7年もの歳月を費やすことになるとは、この時誰も考えなかったでしょう。

2014年、TS040に敗北を喫したポルシェ、アウディは、2015年に向けて1000億円近い予算を確保。トヨタの想定を大幅に上回る開発目標を達成。ルマンの予選では6秒差を付けられ、大敗北を喫します。そこで、2016年へ向けてトヨタは予定を1年以上前倒しして、新開発の2.4LV6ターボを投入を決断。新たにTS050を開発し、2016年のWEC、そして、ルマンでの雪辱を誓います。

迎えた2016年、ルマン。2台のTS050は、序盤からポルシェをリード。終始優勢にレースを展開し、残すは30分。ポルシェは最終ピットストップを行って、敗北を受け入れます。ところが、、、残り1周。フィニシュライン上で動けない5号車の横を、ポルシェ2号車が駆け抜けていきます。未来永劫語り継がれるであろう、残り5分の悲劇。トヨタは、掌中に収めたはずの勝利を逃してしまうのです。

 

2017年最終決戦、トヨタ・ポルシェが死闘を演じる。

アウディの撤退に伴い、翌2017年はトヨタ・ポルシェの一騎打ちとなります。互いに一歩も譲らぬ死闘は、ルマンで頂点に達します。トヨタは、今回バックアップとして3台目のTS050を投入。必勝体制を敷きます。予選では、小林可夢偉が3分14秒791という永遠不滅のコースレコードを記録し、PPを獲得します。

決勝では、両者はスタートから激しいトップ争いを展開。一歩も退かない鍔迫り合いにより、マシンの限界を超えていくのでした。波乱は、スタート3時間後。ポルシェ・2号車が早々にピットに駆け込み、重作業を開始して脱落。夜にはトヨタ・8号車も重作業を強いられ、勝負権を失います。

深夜、順調にリードしていたのは、トヨタ・7号車。ところが、再び悪魔がトヨタに微笑みます。ピット出口を閉鎖中、偽マーシャルのGoサインに遭遇。小林可夢偉は誤ってスタートさせたことに気付くも、この際クラッチを壊していました。7号車はピットを出るも、戻ることは叶わず、そのままリタイヤ。残されたのは、2位を走る9号車。ところが、ニコラス・ラピエールは、無理にペースアップ。早々に周回遅れと接触し、タイヤをバーストさせます。最悪なことに、ラピエールが強引なスピードでピットを目指したために、リヤセクションから発火。そのまま、リタイヤを喫します。トヨタの敗北はこの時点で、決定的となります。

唯一順調に走行を重ねるポルシェ・1号車が、順調にレースをリードして朝を迎えます。そして、残り3時間。ルマンの悪魔が今度はポルシェに襲い掛かります。1号車が、突如スローダウン。油圧系トラブルで、リタイヤを喫したのです。この時点で、トップを走るのは格下のLMP2。それを追い上げたのは、2号車。ポルシェは何とか体面を保ち、リードを回復。通算19勝目、3連覇を飾ります。

死闘の勝敗を分けたのは、修復時間でした。2号車が30分で復帰したのに対し、8号車は1時間以上を要していました。8号車の明暗を分けたのは、ドライバーがドラブルの予兆を報告したにも関わず、データ上に異常が認められず、ピットインさせずに走行を続行させたこと。ダメージはハイブリッド系に致命傷を与えており、修復を長引かせたのです。

ポルシェは、2017年を以て撤退。トヨタは遂にぞ、アウディも、ポルシェさえも、打倒を果たせぬまま、死闘は終幕となります。

 

残されたトヨタが、絶対負けられない戦いに挑む。

翌2018年、それは絶対に負けられない孤独な戦いでした。ただ、真っ当なライバルはレベリオンのみ。誰でもラクに勝てると考えるでしょう。ペースを落としてリスクをコントロールできれば、優勝は確実。しかし、この年のトヨタは違いました。ワークスがプライベータに負けることは、ルマンの偉大な歴史を汚すも同然。トヨタは絶対的な勝利の方程式の確立を目指し、史上最も過酷なテストを実施するのです。

早々にテストを開始したトヨタ陣営は、TS050に対して例年以上に厳しいテストを課します。意図的にルマンで想定される負荷を上回る状態で走行させ、クルマを壊しに掛かったのです。これにより、基本的な信頼性を確立していきます。そこで課題として浮上したのが、如何なるトラブルでも確実にピットに帰還させること。

2016年の悲劇の原因はインテーク系の破損によって負圧が減少、システムがターボに異常が発生したと誤認し、エンジンがセーフモードに入ったことにありました。5分の間に、トヨタはトラブルの原因を突き止めることができず、悲劇的な惜敗を喫したのです。もしあの時、トラブルが把握できていれば、片方のターボをカットできれば、走行を継続できたかも知れません。

そこで、トヨタが目指したのは、走行中のトラブルシューティングでした。テレメトリによるデータを元に走行中に原因を突き止め、トラブルに対応するスロー走行用のセーフモードへ移行。ダメージを最小限に抑えつつ、ピットを目指します。一方、マシンが戻るまでの間に、ピット側で対応策を決定。戻ると同時に、最適・最善の修復作業を開始するという手筈です。

それは、アウディとヨーストが2000年に至った境地と全く同じものでした。絶対に壊れないマシンであっても、ルマンでは必ず壊れる。ならば、壊れても止まらないマシン・体制を築き上げれば良い。屈辱的な敗北を機会に、トヨタは漸くヨーストとの絶対的な差に気が付いたのです。

用意周到なトヨタは、更なるテストを実施します。今度は、作為的にクルマにトラブルを発生させることで、トラブルシューティングとリペア作業のトレーニングを実施したのです。事前想定が無ければ、判断を誤り、作業にミスが出る。ならば、トラブル対応が日常になるほど、訓練すれば良い。遂には、脱輪を想定した3輪走行までシミュレーションするに至るのです。

 

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